ユング派の心理学者、ジーン・シノダ・ボーレンの見解によりますと。
夢分析と同様の手法で共時性現象を解釈すれば、その人のこころの状態を分析できるそうでして。
共時性を論じる際、必ず引き合いに出されるスカラベのお話も、元型的状況によって説明が行われていますもんね。
スカラベのお話をご存知ナイ方は、こちらをご覧くださいませ。
(湯浅泰雄センセイの著作が紹介されています。)
「意味ある一致」としての「共時性」 「気」と共時性
物理学がさっぱりわからねぇ桃花39歳も。
共時性と思しき現象に遭遇する度に、びっくりするワケでございますが。
主観的に観測される現象の連続性と、その意味について、イヤでもかんがえざるを得なくなってまいります。
ここで、
以前の記事:「まとめてみる」の内容を、スリムにまとめてみますと。
Ⅰ 内界で生じた非視聴覚的・非言語的イメージの内容と一致した現象が、
外界で同時発生する。
Ⅱ 事例の75%に同一の要素(ペニス)があり、連続性も認められる。
ってカンジになりまするが、ここしばらくの間、Ⅱで挙げている「ペニス」の象徴性に着目した考察を行っておりました。
総裁選もまもなくだってぇのに、何やってんだかなぁ俺。
えーと、夢分析におきましては。
突起物や棒状のモノ、銃剣の類を、「ペニス」として解釈するケースが多いコトは、みなちゃまもご存知ですよね?
アタイは、神頼みや瞑想的なモノはまったく行わねーニンゲンなのですけれど。
精神分析をヨーガに代わる全一性回復の手段であるとしたユングの言い分どおり。
PTSDを克服した後、アニムスを自我へ統合し、夢の中で「煩悩即菩提」を体感するとゆー心的プロセスを経験しております。
夢を分析しているウチに、意識の思考だけでそこまでたどり着いちゃったワケなのですが、その間アタイの無意識下で、「ペニス」的なシンボルが大変重要な役割を果たしています。
例を挙げますと、「不快な感情的体験を排泄したい」とゆー欲求が起こっていた際、
「トイレの壁をシャーペンで突き破ろうとする夢」を見たコトがございます。
「トイレの夢」と言いますと、たいがいのバヤイ、不快な感情的体験の記憶や、こころの中の残滓を心理的に排泄したい時に見るコトになっておりますでしょ?
それらのモノを、夢の中でスムーズに排泄できるかとゆーと、そおではなく。
「うんちがなかなか出ないー!」「トイレの床が汚いー!」
といったヤなカンジを伴うコトの方が多かったりするんですよね。
アタイも「トイレの夢」は、よく見ておりましたが。
現実世界で心理的な排泄欲求を満たせなかったので、意識による思考の限界(壁)を突き破るコトで自己解決したのです。
その際、壁を突き破るための武器として用いられた「ペニス」的シンボルは、日を追うにつれ、
降魔の三鈷剣、金剛杵、シヴァリンガといった密教系のシンボルへ変化してゆきました。
シヴァ神のシンボル・リンガは、そのものずばり、「ペニス」でございますけれど。
仏法が煩悩を滅ぼして菩提心を表す譬えとされる金剛杵(ヴァジュラ)も、サンスクリット語で「ペニス」とゆー意味を持ってたりするからアラ不思議。
突起物や銃剣のたぐいが、「ペニス」として解釈されるのも、なるほどとゆーカンジがいたします。
アタイは自分の夢に登場する「ペニス」的なシンボルを、ロゴス原理の象徴表現だとかんがえているのですがね。
オノレがたどった心的プロセスと、個々の現象とをトータルでかんがえてゆくウチに、
「なじぇ股間的な現象に同調しやすいのでつか?」
とゆー疑問が、あっさり解けちゃった(ような気がする)のです。
果たして自分のかんがえが合ってるかどおかは、専門家の意見を聞いてみなけりゃ判りませんけれど。
「共時性と思しき現象がヒンパンに起こるヒトは、自分の境遇や夢の内容なんかも照らし合わせて検証すれば、現象の意味に近づくコトができるのかもしれないゾ」
と思ったのでした。
参考文献 : 「シンクロニシティ」 デヴィッド・ピート著 管啓次郎訳 朝日出版社
「タオ心理学―ユングの共時性と自己性」 ジーン・シノダ・ボーレン著
渡辺学 白浜好明 阿内正弘 湯浅泰雄訳 春秋社
「ユングにおける心と体験世界」 渡辺学著 春秋社
「図説インド神秘事典」 伊藤武著 講談社
「密教仏像図典 インドと日本のほとけたち」 頼富本宏著 人文書院