忘れもしない今年の1月28日。
小高いお山のテップェンに住んでいるアタイは、一風変わった夢を見ました。
夢の中で、こんな色カタチのモノを見たんです。
霧がかった黒一色の空間に、ぷかりと浮かぶ七つの白い球。
中心のひとつと、周りの六つをつないでいる、黒い棒みたいなモノ。
「これなァにィ?」と思った途端、アタイの灰色脳細胞に、ある直観がヒラめきました。
「あ、性欲すなわち菩提だァー」
そう感じた瞬間、頭ン中がスーッと爽やかになってゆきましてね。
性欲と菩提とゆーモノが表裏一体であるコトが、感覚的にわかっちまったンです。
その感覚と同時に、肉体的な快感も生じました。
全身の細胞のひとつひとつが喜びでぷるぷる震えてるよおな、「うおー、俺生きてるよォ」みたいな感じの。
生きる喜びをアタイに教えた七つの球は、その中心から、ぱあ~って眩い光を放ちました。
その光に包まれながら、視界から消えていったンです。
アタシゃ、この夢には、すんげービックリしました。
だってこれ、悟りの体験ぢゃございませんの。
僧籍に身を置かれる方々が、「とてもコトバでは説明出来ない」とおっしゃってる、煩悩即菩提ってヤツですよ。
こころが熟してくると、夢が宗教性を帯びてくるって話は、アタイも知ってたんですよ。
ユング派の諸先生方のご本を読んでますと、ちょくちょくそーゆー記述にぶつかりますんで。
でも夢ン中で、煩悩即菩提を体感できるなんてこたぁ、ずうぇんずうぇん知らなかったンです。
これお読みのアナタはご存知でした?
あ、アタイはアレですよ、特定の信仰なんて持ってませんからね。
お正月にゃ、フタゴとおててつないで、神社へ詣で。
お盆にゃ、フタゴとおててつないで、とーちゃんのお墓へ参り。
クリスマスにゃ、フタゴといっしょに、ジングルベルを歌う。
生活の中に溶け込んでる多神教的なモノを、ごく自然に受け入れている平均的ニッポン人ですンで、そこんトコロは誤解なさらないでいただきたいわァ。
この夢で見た七つの球を調べたアタイは、これがマンダラの一種であること、セルフ(自己)であるコトを知りました。
煩悩即菩提の世界観を男女和合になぞらえた、密教のシンボルでもあるコトも。
ベアトリーチェに導かれて太陽天に達した『神曲』のダンテは、光となり、長年感じていた宗教的な疑問がみるみる解けるとゆー悟りの体験をしたンですとか。
でも、あほうなアタイのセルフから放たれた光は、「性とは何か」「夢とは何か」とゆー個人的な疑問に向かって走り続けるよおな気がします。
アタイの中から生まれたがってた
まめゴマ的な何かとは、この夢を誰かに話したい衝動だったのかもしれないわ。
さてさて、今夜はバンビ~ノ!の最終回。
今からひとっ風呂浴びて、ヨナさんの包丁さばきをとくと拝見するとすっか。